糟谷プロジェクト.  TEL 086-242-5220 FAX 086-244-7724(山田)

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2019.10.10
ホームページを開設しました。
2019.12.6
呼びかけ人を更新しました(最新)
2019.12.15
記録コーナーに3冊を追加しました。(ページの下にあります)
2020.2.17
1月13日の報告などを掲載しました。
2020.4.22
1月13日の発言録を掲載しました。

権力犯罪を許さない 忘れない、糟谷孝幸追悼50周年集会 1月13日

140人を超える参加ありがとうございました。感動的な集会となりました。
さらに、糟谷本の発行へご協力よろしくお願いします。

発言録PDFはこちら(2020年4月22日)

報告PDFはこちら

当日配布資料はこちら

集会の様子(短縮映像)や発言の一部はイベント欄をごらんください。(このリンクをクリック)

糟谷プロジェクトにご協力ください

1969年11月13日,佐藤訪米阻止闘争(大阪扇町)を闘った糟谷孝幸(かすやたかゆき)君(岡山大学法科2年生)は機動隊の残虐な警棒の乱打によって虐殺され、21才の短い生涯を閉じました。私たちは50年経った今も忘れることができません。
 半世紀前、ベトナム反戦運動や全共闘運動が大きなうねりとなっていました。
 70年安保闘争は、1969年11月17日佐藤訪米=日米共同声明を阻止する69秋期政治決戦として闘われました。当時救援連絡センターの水戸巌さんの文には「糟谷孝幸君の闘いと死は、樺美智子、山崎博昭の闘いとその死とならんで、権力に対する人民の闘いというものを極限において示したものだった」(1970告発を推進する会冊子「弾劾」から)と書かれています。
 糟谷孝幸君は「…ぜひ、11.13に何か佐藤訪米阻止に向けての起爆剤が必要なのだ。犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ。…」と日記に残して、11月13日大阪扇町の闘いに参加し、果敢に闘い、機動隊の暴力により虐殺されたのでした。
 あれから50年が経過しました。
 4月、岡山・大阪の有志が集まり、糟谷孝幸君虐殺50周年について話し合いました。
そこで、『1969糟谷孝幸追悼50周年プロジェクト(略称:糟谷プロジェクト)』を発足させ、
三つの事業を実現していきたいと確認しました。

  • ①糟谷孝幸君の50周年の集いを開催する。
  •  ② 1年後の2020年11月までに、公的記録として本を出版する。
  •  ③そのために基金を募る。(1口3,000円、何口でも結構です) 振込先はこちら

 残念ながら糟谷孝幸君のまとまった記録がありません。
当時の若者も70歳代になりました。今やらなければもうできそうにありません。
うすれる記憶を、あちこちにある記録を集め、まとめ、当時の状況も含め、本の出版で多くの人に知ってもらいたい。そんな思いを強くしました。
 70年安保 ー69秋期政治決戦を闘ったみなさん
 糟谷君を知っているみなさん
 糟谷君を知らなくてもその気持に連帯するみなさん
 「糟谷孝幸プロジェクト」に参加して下さい。
呼びかけ人・賛同人になってください。できることがあれば提案して下さい。手伝って下さい。よろしくお願いします。
 2019年8月
糟谷プロジェクト呼びかけ人を代表して   
内藤 秀之(岡山県在住・日本原農民・69.11.13扇町闘争に岡山大学から糟谷孝幸とともに参加)

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